わが母の記

井上靖といえば我々の年代ならまあだいたい読む作家だと思う。私も。その作家の原作だというので試写会に申し込んだ。その作家の原作というのでなければ、テーマとかタイトルとかで、まず興味を持つということはないもの。でも、このところしばらく映画見てないし、時間もなかったし、という感じで行った。いつもがら空きの会場に、比較的多くの観客。期待できるのかな。監督は「クライマーズ・ハイ」の人かあ、ううむ、あれはもう全然駄目だったな、不快でしょうがなかった。ということを考えているうちに始まった。出だしの場面で直感的に好みか好みじゃないかというのは感じるもので、ううむ、駄目かも、と思った。妙に映像がきれいなベトナム映画を思い出した、何だったかな、雨の場面から始まるのがあったような。思わせぶりな割にちっとも面白くなかったなあ。で、最初の印象はそのままで、最後まできた。すすり泣きの声も聞こえる。ちっとも泣けない自分。感動もなかった自分。なぜだろう。どうしてこういう話しに感動できないのだろうか。自分のテーマである。

付近に知り合いがいるのに気付いた。ああ、聞いてみたい。「どうだった?」と尋ねると「さすがに普遍的で感動。ツボ抑えている」ということだった。どこが普遍的なのかな、どんなツボなんだ。ゆっくり聞いてみたい。「こういうのに感動できない自分が悲しい」と言うと「素直じゃないってこと?」と聞かれた。「素直じゃないとは思ってないけど」と答えた。「●●さんは、ほら、自分がしっかりあるから」と言われた。どういう意味だろうか。それとこの映画の好き嫌いの関係はいかに。謎だらけ。ネットでの評判もすこぶるよろしいようだ。何がいいのかなあ。ひどく半端な印象なんだけど。お膳立てがしっかりできている環境があるなら、テーマの純度は上がるはずなので愛とか抽象度の高いものを描きやすくはなると思うし、それはそれで多分普遍性を感じると思うのだが、どうもそれを感じられなかった。お膳立てが整わない環境であれば意外性とか不条理性とか、撹乱要因があるはずで、そのスリルが感動だったり楽しみだったりするのだが、こっちはもうまるで感じなかった。まあふたつの分類しかない自分が浅はかなんだろう。ああ、納得できる映画をお口直しに見たくなった。
by kienlen | 2012-03-10 14:17 | 映画類 | Comments(0)

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