選択と成り行きって意識の違いだけかなあ

何年ぶりかに会う知人とランチをすることにしてあった昨日、指定されたファミレスに行った。ふたりの子のうちの下の子も結婚したので一段落ということだった。「結婚しない、というかできない人が多い中で順調ですね」と言うと「あのね、私、勉強しろとは言ったことないけど、ずっと結婚しろって言い続けてきたからよ」と言う。「へえ、私、それ言ったことない…」と言うと「言っておきなさい」とアドバイスされた。彼女の場合、弟さんが結婚していなくて、もう充分高齢な親にとってのたったひとつの心残りがその事で今もぼやいているそうだ。それで、自分の子には結婚することをさんざん吹き込んできたそうだ。個人の自由とか言っている場合じゃないわよ、と言われた。私も結婚は否定しない、というか、した方がいいと思う。別れるにしても。ただ、したくてもできない人がいることを思うと、強く言えない感じがある。そういうと「あら、じゃあ、あなたはなぜ結婚したの?」と問われた。彼女自身は、高校から家を離れてひとり暮らしする中で自分で作ったご飯をひとりで食べることの孤独に、ひとりは嫌だと思ったそうだ。

私は「ご飯をひとりで食べるのは平気なんだけど、これで地球が滅びるという日にひとりなのは寂しいなって子どもの時から思っていたから」と答えた。これは本音だが、説得力があるようにも思えない。どうも人と話していてよく感じるのは、自分って、ひとつひとつをちゃんと意思的に選択してないなということである。自分の中でそういう選択をしたということを明確にしたくないのかもしれない。これは逃げだろうかとよく思うが、どうしてもいろいろな事は成り行きといった方がしっくりくる。大きな意味で、これをしたいからとがむしゃらになったことがない。もちろん日常的には、仕事をするにはこれは知らなくちゃ、とか、これをやらないと、という積み重ねはあるに違いないが、大きなものを描いてそこにがんばって向かうというイメージとは逆で、日々がなんとなく重なっている感じの方が強い。それで特に不自由というわけではないが、人と話すのに結構不便なのだ。伝えにくい。物語を作りにくいというか。まあ、別に人を説得するために生きているわけじゃないからいいんだけど、年を取るにつれてそういう垢というか癖が積み重なる一方でことさら感じるようになる。
by kienlen | 2012-02-17 10:16 | その他雑感 | Comments(0)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


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