しゃべる、書く、どっちもどっちだった

夫の店によく来るタイ人女性がいる。夫を亡くしてひとり暮らし。時々パチンコに行くくらいで仕事をするわけでもないので暇。いつもビールを飲んでいる。この人が大変なおしゃべりで、とにかく休みなくしゃべっている。私はうるさいのが苦手なので時々腹がたって「うるさいから少し黙っていてくれ」と言うと「ごめんねええ」と言って一瞬黙るのだが、すぐにまたしゃべりだす。こういう人が他にもいて、特に声が大きい人だとたまらない。食べる気になれずに店を出たことが何度もある。で、当方は店を出ればいいのだが、出られないのは夫。カウンターの中にいて苦しそうに「逃げ場がない」と嘆くこともある。当人の前で嘆くのに当人は知らん顔でしゃべりまくりだ。すごいなあと感心する。話の中身はほとんど全く何もない。ほとんど意味不明。そういうのを見ながら「自分もひとり暮らしになって話相手がいなくなったらこうなるのかなあ、その時はどこに行けばいいんだろう」と考えているのだが、かといって意味のないことを話すという状況を思いうかべることができないでいる。

大きな声を出すことにかけているような人もいる。これはいくら「小さな声にして」と頼んでもすぐに元に戻る。ある時「大きな声で話すと気持ちがいいわけ?」と嫌味のつもりで聞いてみたら、なんと素直に「そうよ、大きな声出すとすっきりする」と言う。すごく嬉しそうだ。なるほど。ストレス解消が大きな声で話すことなのだった。で、そういう人は相手が聞いているかどうかなんて気にしないどころか聞いてない方がいいのだ。私なんかまともに受けて嫌がられる。そういうことが分かってくると、なるほど、と思う。そんな話を日本人の静かなお客さんとしていたら「僕のお袋もそうですよ。そういう人って話すだけでいいんです。お袋だって僕が聞いていないのは明かなのに話している」と言う。身近にそういう人がいないどころか、必要なことも話さない人の方が多い我が家である。慣れていない。でも、ここでふと思ったことは、自分は誰も聞いてないのに話すということを考えたことはないが、こんな風にいつも書いてるわけだ。これって結局同じじゃないか。話すか書くか。ついでに歌う、描く、奏でる。そうやって表現したいものなのだ。聞いてなくてもいいというのは罪が深くないかも。私なんか相手に聞く姿勢がなかったら話さない。でも書くってことになると書きっぱなしで、相手が覚えていたりすると逆にとまどったりするわけだ。これっておしゃべりな人が本気で聞かれていない方が話しやすいのと同じじゃん、何てこった。今ごろ気付いた。
by kienlen | 2011-08-06 10:07 | その他雑感 | Comments(0)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


by kienlen
カレンダー
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30