『原子力と報道』

前に原発世論の本を読んだ時に、報道と世論の関係について触れていないのがちょっと残念で、まあ難しいだろうとは思いつつも、原発と報道について時系列的にまとめたものはないかなと思っていたところ、古本屋で偶然にこのタイトルを見つけた。興味にぴったりはまるタイトル。発行が2004年なので3.11とは関係なく書かれた本ということになる。持ち帰って開いてからいったん本を閉じてしまった。原発推進の論理は知りたいのだが、さすがにいきなりこれか、という感じで。で、気を取り直して読み始めたところひじょうに興味深い本であると感じながら読み終えることができた。著者の中村政雄さんという方は科学ジャーナリストで元読売新聞の科学部記者をやっていたそうだ。こういう本を書くには現場の人ということになるんだろう。1933年生まれ。この年齢+男+大企業のサラリーマン、ということになると自動的に浮かび上がるイメージというのが私にはあって、それは重厚長大なものの信奉者、というもの。これが身に付いている方にとって今の社会というのはどう映るのかというのも、まあ想像できそうな感じではある。という勝手なイメージはさておき、興味深い内容でした。

単純にいうと「メディアは非科学的な原発報道で不安を煽るな」との主張をあの手この手で繰り広げているもの。作業員がちょっと放射線を浴びたくらいで「被爆」と言うのはいけない、原発の耐震はしっかりしているのだからちょっとしたミスを大げさに報道するのもいけない、反原発の運動家は学問の世界では否定されているような論まで持ち出して不安を煽っているのだから、報道がそれにのせられてはいけない等々。多くの事例が俎上に乗るので、その通りと感じるものもある。ちょうど、お風呂用の雑誌に原発報道に携わってきた元記者の方が、ちょっと似たようなところのある趣旨で報道の失敗を反省しているのがあって、ほんの少しはそれを彷彿とさせた。ただこの本はまだこんな事故が起きていないこともあり「書く書かないの判断は、社会の進歩に役立つかどうかだ」という信念の下、原発を進めない選択はなしというメッセージを強力に発している。書く書かないの判断基準も時代を感じさせる重厚なものなんだな。でもすっごく不思議だったのは、国が設定した基準はそのまま鵜呑みで、それを規準にするのが科学的ということになるってこと。前提を疑うと、素人にはもう何が何だか分からない。自分が勝手に決めている科学的で、社会の進歩に役立つなら、非科学的な動物的な勘が感じる命の危険などバカバカしいということのようだ。恐れ入りました。
by kienlen | 2011-07-04 19:08 | 読み物類 | Comments(0)

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