朝の一人言

昨夜、フェイスブックに知り合いの名前が現れた。こういう仕組みの恐ろしさを別にすれば別に珍しいことではないが、その名前を見てびっくり。ずっと消息が不明になっている友人である。連絡が取れなくなった時、私は直感的に「先方の事情で関係を絶ちたいに違いない」と思った。私自身は誰かと関係を切りたいと思うことは特にないし、仮にあったとしたら、特殊な場合を除けば、自然に遠のくだろうと思っている。しかし例えば、毎日話していたような大変親しかった人が、自分にとっては心当たりがないのに突然音信不通になったらやっぱり心配するだろう。で、その友人に対してそういう関係である友人がひどく心配しているので、私も心配になって何度か電話したりメールを送ったりした。分かることは電話もメールも生きているらしいこと。でも返事はない。やっぱり何か事情があるように感じられる。そして多分ただコイツと話しているだけでうんざりするということはあるのだろうと思う。被害者意識にかられている時に、被害者意識部分を刺激されるような無神経な話をするヤツとか、極度に金に困っている時にそんな状況になったことのない人が妙に分かるような顔をしたりとか。まあ、想像ですが、乏しい想像力を駆使しての。

というのは、自分もそうしていろいろな人から嫌われてきたんだろうな、ということを今になってひしひしと感じる。だからその友人に対してそういう感じを抱かせたのかもしれないと、想像する。ここで大きな問題は、自分にとって、生きる上での課題みたいなもののひとつが、ここにあるということである。つまり、ヘタに傷つかないためにはどーするか、ということ。全くなあ、というのが今の心境。自分がこっちの方向で努力している間に自分にとっての標準値が上がるから、これでよしよしと思っていることが、逆説的にはそういう方向性でない人との距離を広げることになるんだろうということに気付くわけだ。この友人のケースが相当するのかどうか分からないし、こんな自分の解釈に自信があるわけでもないのだが、それについて思いを馳せることの多いこの頃。
それにしても恐ろしきフェイスブックの仕組み。この間の映画ではビジネスとしての面に焦点があって、フェイスブックそのものについて触れてなかったのが残念。それとも自分が気付かなかったのか…。とにかくその友人の名前がフェイスブックにあったことを、うんと心配している人に知らせたら即返事があった。「別の友人からも同じ情報が入りました」と。
by kienlen | 2011-02-24 09:25 | その他雑感 | Comments(0)

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