ミツバチの羽音と地球の回転

前に「六ヶ所村ラプソディー」を観に行ったことのある鎌仲ひとみ監督の最新作。自主上映で全国を回るスタイルは今回も同じ。前回同様、環境分野の活動をしている友人がチケットを扱っていて前回同様に協力。映画は見てみないと分からないし、もともと強引さの足りない傾向はあり、よって私のチケット販売協力は遠慮がちになってしまうのだが、これはもっともっと多くの人を強引にでも誘えば良かったと少々後悔。まあ、しかし分からないからしょうがない。私を誘った友人は「賛否両論あると思うけど、六ヶ所村の後で僕はこれはありかと思う」ということで私の感想も聞きたいみたいなことだったが、私は多いにありでしょう、と思った。会場には知っている人が大勢。こういう場こそ、知らない人ばっかりだと嬉しいのだが、相変わらず残念なことである。1日3回上映というのはありがたい。自主上映で1日1回の上映だと、その時間が駄目なら全滅だが3回もあればどっかでは行ける。今回は娘を連れて行く予定にしていて昼間は模試だったから夜の部に行った。その前のトークと、上映後のトークというコースで時間は4時間以上。娘もテンション低く暇人でせっかちなところが皆無なので、日常動作が遅くて呆れる点はあっても、こういう長丁場で退屈しないのは助かる。

今の日本の縮図だなって感じたドキュメンタリーだった。メッセージがひじょうに分かりやすく伝わるもの。一言で言うと硬直化と思考停止と保身。ああ、これだと三言か。三言で言うと。30年も前の計画の原発やらダムやら道路やらの計画を推進するということ自体が、普通に考えて、この時代の変化の激しい状況の中で、おかしいというのは直感的に思う。六ヶ所村にしろ今回の舞台の祝島にしろ辺野古にしろ、あのような自然をつぶして原発やら基地を建設することに、理屈以前に恐ろしさを感じないこと自体、動物としての生命力と感性を失った人間ってところなんだろうが、まあ、理屈がないわけにいかないのも人間の宿命。そんな変なものになってしまったんだから、もっと謙虚でいいんじゃないだろうか。という他人事的表現以前に、そこで生活する人の食い扶持をつぶしていいのか、というのが今回のシンプルな発端。いいわけがないとしか言いようがない。それなのにつぶされていく過程が六ヶ所村で描かれていたわけで今回も絶望かとはらはらものではあるが、もうちょっと希望があって、スエーデンのエネルギー革命がかなり細かく紹介される。つまり解決策はあるのだ。しかも普通に考えて難しいとは思えない。ただ、硬直化と思考停止とくだらない保身をやめれば、と感じた。どう感じるにしろ機会があったら見ることでこの無力感をエネルギーに替えられるかもって希望が持てる。それには数も必要。
by kienlen | 2011-02-12 21:50 | 映画類 | Comments(0)

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