その時という時はあるんだろうな

1時間だけだが、週に何回か、タイから来た中学生の指導ということで学校に行く。今日も朝方にひとつ。中学1年の夏に来た。学力が低いことが気になっていた。日本語の覚えもいいとはいえないように見える。タイ語の作文の文章もめちゃくちゃで、母語がこれで一体どうするんだと心配な気持ちになっていた。タイの田舎の学校の先生は、読めれば書けなくても問題にしなかったそうだ。それもありなのかな。心配は基本変わらないが、日本語の方はさすがにいくらか分かるようになり、当人も面白がっている。しかし英語が全くできない。タイでは小学校4年から英語をやっていたそうだが、見事に全くできない。今日、単なる例文で「中国語ができますか」と聞いたら「少し」と言う。何かの間違いかと思ったら小学校4年の時に中国語もあったそうだ。知っている単語を聞いたら、1から10までスラスラ答えた。他を聞いたら知らないという。文字は全然できない。1年間で身に付いたのが1から10まで。英語は4年から6年まで時間数も相当やってほとんどゼロ。それどころか「英語は好きではありません」と日本語で言うのは得意になっている。

たまに娘が「小学校の時に英語やったけどあれ意味ない」と言う。ちょうど私も授業参観で英語を見たことがあった。実にくだらない、時間の無駄だと思って見るに耐えなかった。簡単な単語でゲームみたいなこと。娘の言い分は「小学生でABCを覚えろって言われても何が何だか分からない。中学からだとすぐ覚えられるのに」である。よほど印象的だったらしく時々言及する。私はくだらない英語の授業を見て「まだ中学との連動性を考慮できないから何をやっていいのか分からないんだろう」と解釈していたのだが、そういう表面的な問題でもないように感じる。この頃、何かにつけて「時期」というのを感じるようになった。タイ語でよく「まだその時期じゃない」という言い方があって、日本語でも言うけど、もっと頻繁に使うように感じる。息子に「留学するとか、外国へ行くのはどう?」と言った時「まだ時期じゃないと思うよ」と言うのを、今になってしみじみ感じて娘に言うと「考え過ぎ」と言われたが、そうだろうか。自分がそういうことを自分自身振り返ることがなく来たように思う。特に何もしてこないし、成り行きでやっているから、自分で選択しているという意識を持てないままで今日まで来た。よって時期なるものについて深く考えたことがなかったように思う。この間、何かの本で国際人の条件は何でも食べれてどこでも寝れて…みたいに書いてあったが、少し早く英語を始めるよりもそういう基礎を作る方が良くないか、とは感じるな。
by kienlen | 2011-01-26 21:09 | その他雑感 | Comments(0)

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