フィリピンの子から教えてもらう

相変わらず飛び飛び日記と化してしまった。今日は中学校でフィリピンの子と話す時間があったので、前々からの疑問をぶつけてみた。彼女は中学3年で来日から半年くらいになるんだろうか。日本語はまだまだだが、それでも積極的で明るい性格のせいもあってコミュニケーションはかなりいける。困ると英語の単語を混ぜるとさらにいける。この点が英語を話す国の明かに有利なところ。世界に羽ばたくフィリピン、さすが。それに、異文化に入る場合には、人なつこくて明るいって利点だよな、と子ども達を見ていると感じる。やはり話しやすいのでつい話しかけてしまうのである。冗談も言えるし。もうひとり韓国の子が同学年にいるのだが、南国のタイやフィリピンのような無邪気さとはひと味違う感じで、話しかけにくい雰囲気がある。まあ、私が南国スタイルに慣れているからかもしれない。そしてタイ人がどうしても遠慮がちなのに対してフィリピンの子は積極的でもある。やはり、さすが国際人って感じがするな。ただ、私なんかよりいろいろな国のたくさんの子を見ている日本語教師の先生によると「でもがさつなのよねえ」ということになる。料理をやらしても手芸も丁寧さに欠けるそうだ。となると、私なんか図にのって「アメリカの影響でがさつになったんじゃない」なんて言いたくなる。これこそ、がさつな物言いでありますが。

積年の疑問とは、フィリピンは教育を英語で行うということだが、となるとタガログ語と英語をどのようなバランスでやっているんだろうか、ということである。それに母語がタガログだったら友達とはタガログだろうし、先生はどうなんだ。とまあ、そういう疑問。彼女は私立のクリスチャンスクールで公立よりも厳しかったそうだ。英語の時間は英語以外を使ってはいけない。社会も英語。これは「難しくて意味の分からない言葉がたくさんあった」そうだ。でも面白かったそうだ。科学や数学は?と聞くと「タガログと英語のミックス」だそうだ。バイリンガル批判者が、両方取り混ぜて考えるから深い思考ができない、と言うのを聞いたことがある。想像はできるが経験がないので分からないが、あてはまりそうでもある。ただ、結局仕事をするようになると必要な語彙というか思考は高めるしかないから、基礎があればそれからで遅くないんじゃないだろうか、と思ったりはする。何しろ言葉をすべて知るのはあり得ない。それにそもそも深い思考って何よ、である。そんなのない方が生きるのには便利かもしれない。学校で英語だとタガログは弱くならないか尋ねたら、もちろんそうで、難しい言葉は分からない、と言う。ここで「そんなことない」と言われたらびっくりだったけど、なんか安心というか、言葉ってそういうことだよな、という感じがした。しかし、それでもタガログが生き残っているのはどういうことなのかな。というか、多分相当に言語としての影響力はなくなるんだろうなあ。残念だなあ。知らない言葉だけど。しかし現実的に英語が話せるのがものすごく有利であることは間違いない。フィリピンから来たばかりの子が英語100点取ったそうで、タイ人じゃあこれ無理だものな。
Commented by クリス at 2010-09-22 19:57 x
表現の違いだと思いますね。
日本はこねくり回すのが好きなんですよ。過程を大事にするのはよいことだとは思いますが、複雑なのが「深い」ことなんでしょ?
一方目的意識の高いアメリカに育ててもらった自分などはわかってもらってなんぼだと思っていますから、どんなに深かろうが高かろうがわかりやすい表現しないと理解してもらえないじゃないですか?

「朗らかなることは美徳なり」あたしの座右の銘ですね。本当に無邪気なのかどうか…中学生なりに計算もしてると思います。人なつっこくて明るいのは性格ばかりじゃないかも知れません。「攻撃的笑顔」初めての場所に行くときにいつも自分が一人つぶやく言葉です。「私人見知りなんです」なんて言って許されてる人間は甘えてるとしか思えませんね。
Commented by kienlen at 2010-09-22 21:27
クリスさん、こんばんわ。おお、そういえばバイリンガルだ!人見知りで許されるなら、それはそれでありかと思うけどそれってアジア的かな。攻撃的笑顔も良し、人見知りも良し。それぞれの状況でそれなりに生きていかなきゃならないからなあ。それと、理解してもらいたい願望というのにも個人差があるよな、と感じております。ああ、文化差もか。自分の中で消化しちゃうというタイプもあるように思う。子供の時の環境変化が与える影響については、すごく大きいと思います。その経験の有無は決定的かな。私はそれがないです。
Commented by jun at 2010-09-23 08:45 x
kienlenさん
先日はお話し出来て楽しかったです。
さて私の先生は、「ベリークリアー」や「グックエスチョン」が口癖でした。オーストリヤの出のドラッカーや東洋哲学の先生でしたが。
言語や地理によって自分が変わる気もしますが、根は私もシャイです。
議論の出来ない日本人とは衝突しますが。
Commented by kienlen at 2010-09-23 13:59
junさん、毎度いろいろありがとうございます。シャイでいられる状況を、大人になってからだと、ある程度自分で選べるけど子供にはそれができないんだなということを、国際移動しなくちゃならなくなった子どもを見ていて思います。とはいえ、それぞれの適応の仕方は違いますね。それにアジアの子しか知らないし。シャイと議論は関係なくないですか。議論の場は議論することが責任では。
by kienlen | 2010-09-22 18:12 | 言葉 | Comments(4)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


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