自分の言葉を振り返る機会

タイ人の中学生が泣き出した。どうも見るからに元気ないなとは感じていたのだが、周辺にいる先生が心配しているのでタイ語で聞いてみた時だった。春に来日して夏。多分辛い時期だろうと思う。最初は訳分からずにいる。言葉ができないのも当然。しかし少し慣れて余裕がでてみると、自由に話せるわけじゃなく日本人の子とは別世界で友達もいないし、勉強だって進まない。中学だから小学生ほどの子どもでもない。しかしまあ人前で泣けるというのは素直というか、素直すぎるというか。泣いたからと気にしていてはお話にならないので適当に切り上げて日本語の授業をした。とにかく言葉さえできるようになれば大方の問題は解決するのである、と私は思っている。せめて数学が得意だと自信という点で随分と違うのだが…。

それにしてもいつも思うことがある。外国人が来たら、日本人生徒にもいいチャンスとして生かすような事をすればいいのに。そりゃあ日々の事で精一杯なのは分かるが、手間をかけるのではないコミュニケーションの力を養うチャンスにはなると思う。日本語の覚束ない相手とどうコミュニケートするか。分かりやすい日本語を使ってどう伝えるか。相手の話を理解する方法は、等々は、国際社会の中で求められるスキルと思う。それによって例えば英語に置き換えて、知っている少ない単語を駆使してなんとかサバイバルの会話するなどという方向にも発展できる気がするのだ。言葉に敏感になることって重要じゃないだろうか。どうも見ていると、外国人が来るとお客さま扱いするか、一方的な支援対象か、あるいはもう訳分からないからお手上げとか、そういう残念な対処になっているように感じられてならない。自分が担任だったらそういう風にするのにな。楽しそうじゃないだろうか。
Commented by トミー at 2010-08-26 11:08 x
外国人が同級生になったらほっておくか、お客様扱いという現状は身近な異文化交流になるのに、もったいない。さらに転校生についてもいじめるか、ほっておくかが現状のような気がするので、日本の中学校の閉塞性は並大抵ではない感じです。
Commented by kienlen at 2010-08-26 14:08
そう思いますよね。もったいない精神は食べ物だけじゃなくて発揮したいものです。つまりお互いを大事にするということで。そういう提案は細々としているんですが権力のない者が何を言ってもしょうのないところです。資源を生かすという発想を子どもに教えるのは有意義と思うけど。
by kienlen | 2010-08-25 20:59 | 言葉 | Comments(2)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


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