慣れることの怖さとしょうがなさ

バンコク滞在中に中心部で爆発事件があって1人が死亡、8人が怪我ということだった。戻る日の前日の出来事。翌日乗ったタクシーの運転手が「これでまた観光客が来なくなったら商売にならない」と嘆いていた。それにしても、位置的には自分が被害者になっても全然おかしくない場所。すでに何度も通っている場所だ。帰国の日だったがちょっと時間があったので現場に行ってみた。例えば東京のど真ん中で爆発があって死者が出てもこうなんだろうか。現場検証はすっかり終わっているのか、警察の姿は皆無。ただ、報道陣が複数いて、買い物して戻ってもやっぱり複数いた。中国のテレビ局らしい男性が社名の入ったマイクを持って長いことしゃべっていたが言葉が分からなかった。タイ人は新聞記者か。タイ人女性に取材していた。その女性が大声で話しているものだから断片的に聞こえてきたのは「私が被害者であってもおかしくない」「被害者はかわいそう」みたいな事。ところで一体どこが現場なんだろうと思って見てみると、バスを待つ椅子の背もたれというか、寄りかかるようになっているところが紅白のテープで巻かれていた。

日本だったらお祝い事で使うような紅白の縞々テープである。それをセロテープで柱に止めて、一応ここが現場であると示しているらしい。さらによく見るとつなぎ目をボールペンの、ポケットに挟む部分、何て呼ぶのかな、あそこで止めてある。こういうことは私もよくするから発想としては分かるのだが、殺人現場にしてはかなりおおざっぱに見えてしょうがない。で、テープを背に人々はバスを待っている。私もしばらくそこに座って眺めていた。しかしやはりいい気持ちはしない。ここで前日に死傷者の出る規模の爆発があったのである。流血があったに違いない。片づけの手際の良さというのは、つまり何を意味しているのかと思うと、ますますぞっとする。こうして日常に起こる出来事の危険のレベルが上がると、人はまた慣れてしまうのだろう。慣れるしかないとも言える。それは爆発という目に見える事件だけでもない。怖いことである。それにしてもタイはどうなっているんだろう。言論の自由が、相対的にはマシかもしれないものの、絶対的にはそうでもないこともあって、何がどうなっているのか分かりにくい。
by kienlen | 2010-07-31 23:42 | | Comments(0)

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