ダライラマ講演会の本題以外

この間、ダライ・ラマの講演会に行った。いろいろなご縁が重なり、直前に行かせてもらうことになった。知り合いでも行った人は結構いる。そのうちのひとりと昨日ご飯を食べた。講演会の感想になった。通訳が素晴らしかったと、その友人は言った。そこまで褒めるかなってくらいにべた褒めだった。で、その日の夜、つまり昨夜、別の友人が、私が何も言う前から「通訳がひどかったそうじゃない」と言うから「どの点が?」と聞いた。その友人は直接自分で聞いたんじゃなくて又聞き。だから誤解かもしれない、ということを加味した上で尋ねた。答えは「ダライラマは高尚な事を言っているはずなのに俗っぽい言葉になっていたそうじゃない」。これにはびっくりした。私の感想としては「あの言葉からああいう日本語が出てくるのは通訳というよりも代弁者」と感じていたからだ。充分に高尚というか抽象的な内容をかみ砕いてものすごく丁寧に補足していた、という印象。とにかく本人よりも2倍か3倍の量を話していたと思う。通訳にもいろいろな役割があるんだと思った。

最後の方は質問コーナーだった。管理の行き届いた進行で、手順を踏んだ質問者が立つことに決まっていた。全員若いのにびっくりした。そもそも講演会に若者が多いなんて普段は見られない傾向である。さすがに違う。で、その質問者の中のひとりが用意した原稿を読み上げた。質問というよりも自分の活動説明、誇示、主張まがい。あまりの長さと目的の不明解さに辟易とはしたが、世の中変わったのかなという思いもした。6500人もいる会場でダライラマに向かって堂々と延々と、内容的には相当に稚拙な事を述べるのである。内容よりもプレゼン方法そのもののテクニックが通用するのかどうか知らないが、世の中の方向性としてはそうなっているように見える。だいたい内容があっても表明しないと伝わらないわけで、まあしかし奇妙な気分になった。あまりの長さのおかげで準備していた他の人のチャンスを奪ったわけでもある。通訳を褒めちぎった友人は、こっちをメタメタにけなした。確かに極端だとは思ったが、ある種の反映でもあるように感じて、同調の声に今ひとつ力入らずじまいだった。
by kienlen | 2010-06-23 23:41 | 出来事 | Comments(0)

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