見回してぶつぶつ

世の中が全く分かってない、と感じるとぞっとする。世の中といってこの場合はたいそうな意味ではなくて自分の関わるごく小さな部分部分なのだが、それは海上にぷかぷか浮かんでいる部分ではなくて、世の中という大海に、島のようにとはいわないが、タコのようには細い糸でどっかとつながっているはずなのだ。どうも微妙に自分はずれていると感じることがこのところ多い。もっとも今まではずれていたのに気付かなかったんだ。よって若い時は「なんで、なんで何もかも分からないの」と苦しみながらも、何が何だか基本が分からないから迷路のようにここまできたわけだが、まず始めは息子を見ていて、時々「ここまで違和感を感じるのはもしや、自分に問題ありか」と薄々感じるようになった。それ以前から、自分の弟がずれている、と感じていて、しかし誰もが「弟さんの方が普通」と言うので、その誰もがずれていると思っていた。考えてみるとものすごい鈍感。これも無意識の生きる術かもしれない。最近は本気で、こういう自分に若い時に気付いていたらここまで生きられなかったかもとも思うから、神様ありがとうございます。

今さら何でこんな自分探しだか、他人探しだかの話になるかというと、昨日、久々の登校日だった息子からこういう電話があった。「ねえ、祝賀会に3人も出るの?」「あれ、それ祝賀会?卒業式かと思って書いた」「だからさ、先生に確認しろって言われたんだよ。祝賀会に出る人なんか3分の1くらいだよ」「祝賀会ってそもそも何?」「先生と親しか出ないもの」「お金かかんの?」「うん」「間違えた、欠席でいい」という会話を交わした。つまり祝賀会に関するものなのに、卒業式の出欠を問うハガキかと勘違いして返信していたのだ、私が。こんなことは些細なことであるが、こういう些細なことはよくある。アンケート用紙の質問の意味が分からない。この間ひょんなことから学習塾のお手伝いをすることになった時も問題のつながりが読めない感じがあった。それから単純には、友達と話していても、どうしてそういうコミュニケーションになるのか根っこの部分で分からないこともある。それでまあ、自分を振り返るのだが、やはり分からなくなる。まあ、ここまでこれできたんだからしょうがないと思える年齢になっていたことは幸い…なのかな。これも分からないけど。なんかこう、コードがひとつふたつ足りてない、じゃない、摩耗しちゃったのか。
by kienlen | 2010-02-24 10:55 | その他雑感 | Comments(0)

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