山本文緒『再婚生活-私のうつ闘病日記』

少し残っている仕事を片付けてしまったらもう何もなくなって、次のアイデアを練ることに集中できて楽しいのに、やっつけるべきものが延び延びになっている。なっている、じゃなくて、している。あれ、でも、延び延び+している、は可能なのかな。延ばし延ばしだろうか。山本文緒さんの小説は、もう10年近く前になると思うけど、友人が「面白いよ」と、電車の中で読み終える出張から戻ると私にくれる、という感じで2-3冊読んだことがあり、面白いなと思いながら、でも直木賞作家とも知らずにそのままになっていたのだが、この間、書店でこれを見つけて買った。就寝前は結構酔っていることが多く、難しいのは頭に入らないからこれならいいなと枕元用に。まだ読了前だが、読みながら友人のことを思い出して複雑な気持ちになっている。彼はどうしているんだろう。診断名はうつ病とは言ってなかった。躁鬱だとかアスペルガーって言われたとか、そういうことを言っていたが、いずれにしろ常に薬を服用し、たまに入院し、それでも私が知り合った頃はだましだましの社会生活をしていたが、それもままならなくなった。それでもこの地にいる間は、ウチの家族ごと深くお付き合いしたものだった。ひとりでいられないので仕事先に連れて行ったことも何回もあった。そういう時はもう1日中車の中で一緒。休みの日に店を開けてくれと言われれば開けてやった。飲みに行くのに付き合うのは日常茶飯事。あの頃はまだ子どもも小さかったのに夜な夜な出歩いていたわけだ。なるほど今になって「寂しい?」と子どもにうかがうと「何を今さら」と言われるわけだ。

そのうちに東京で治療するということで、いなくなってしまった。その後は電話が頻繁にあった。私は気が長い方だし、訳のわからない話を楽しめる方なので、あまり腹を立てることはないと、自分なりには思っているが、さすがに限界に達した。というのは、こちらは一応働いて全くもって多くもない収入を、全くもってやった分だけ得るだけで一個一個取ったら赤字だってあるのに、治療中とかいう彼は障害者年金で私の働く収入より多くヘルパーさんに家事を頼み毎日外食で猫まで飼っている。それは別にいいのだが、その事で当方をいかにもバカな生活をしているかのような口調なのである。それは病気のせいであろう、呂律も回ってないし、と思ってみてもたまには腹が立って本気で怒鳴ったことがある。その頃から電話がなくなった。少し気になってはいたが、こっちとしてはやるだけはやったし、と思うしかない。近くにいたら違っただろうけど。同時期に友人にも夫にも、いずれも頻繁に電話を受けていた人への音信が途絶えた。それっきりだ。メンタルな病気の難しさって多分当人にも分からないんだろうな、とは思った。結局私などは、腫れ物に触るような対応をすることは相手に失礼じゃないかと思ってしまうので、その場その場でマジに話してしまう。この彼の場合は、病気と矛盾するようであるが心身共に強靭でしつこい人だったのでそれで悪くはなかったんだろうと思う。ところが、うつ病の別の友人に同じように接していたら違った。食事中に突如「帰る!」と、椅子を蹴飛ばさんばかりな勢い。唖然としたら、後から「××さんを嫌っているよ」と共通の友人から教えられたのだ。自分としては傷つけたつもりはなかったのだが…。まあ、そういうこと諸々、この本を読んでいると、心当たりが次々と浮かんでくるのだった。しかし何が健常なのかなんてよく分からない。私はこの本を読んで、これだったら心当たり大いにあるなと思ったりもするし、どこがその一線なのかの説明も知りたいものだ。
by kienlen | 2009-12-24 11:22 | 読み物類 | Comments(0)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


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