無題

「嫌い、何もかも嫌い」と言われた。相手の好き嫌いは強制できないので自由であるが、しかしここまで嫌われる筋合いがあるかなあ、というのが正直な感想。私は母に向ってここまで言えずに泣いてばかりで、自分の内部に向っていった苦しさから逃れて、自分の感情を相手にぶつけられるようになるまでに長い長い年月を要したわけだが、娘の場合は中学でこれである。こんなことでいいのだろうか。自立していないうちにこういう言い方をすることには違和感だ。もっとも「子どもの権利」についてひじょうに敏感な人は、自分の感情を相手に伝えられることに重きを置いているので、健全と思うかもしれない。食事の用意をしていたが、うんざりして途中でやめた。それから自分の仕事机に来ていろいろ考えた。そもそも、あらゆることについて全く説明せずに子どもの言うなり、妻の言うなり、従業員の言うなりになっている夫がいけない、と思った。しかも、言いなりになりっぱなしで消えうせるから留守。この中で妻と従業員は一応自分の本分を果した上であるから筋は通っている。問題は子どもである。何の筋もないではないか。

まあ、嫌われていることは感じてきたから言語化されたことですっきりした感もある。嫌われながらも子育ての義務を果した後、捨てられるならあまりにミジメである。となると、義務を果さないという選択もある。父親に任せて家出はどうか。それをするには中学生はちょっと小さい気がする。そこまで悪人になれない自分が情けない。老後の孤独な世界が目の前で生き生きと展開する。こういうことだけが生き生きとするのも情けない。中年の危機ってこれかなあ。きっかけがあると、いっそこのまま…と思うのも不思議ではない。こういう時にできるのは酒を飲むくらいである。と、思っているところに夫が帰宅した。「酒を買いに行く」と言うと「アル中」といつものように言われた。だから「子どもの言うなりになって都合が悪い時はいないとはお幸せですね。こっちはたまんない」と言った。何を言っても何も言い返さないのが、ここまで徹底していると天晴れと言うか虚しいというか。ま、人に何かを期待してもしょうがないからモノである。近所のスーパーでワインとチーズを買ってきた。うさぎの餌やりを忘れていたことにも気付いた。しなびたナス2個と、丸かじりしたリンゴの芯をやると、わき目もふらずに食べている。食べることと生きることだけに専念すればいいのに、人間って全く面倒くさいな。
by kienlen | 2009-11-08 21:07 | 家族と子供の話題 | Comments(0)

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