夏休みに小僧修行のタイの男の子

教育という分野はまったく疎い。しかし関わらざるを得ないのが、タイ人の子の支援ということでの小学校通い。夏休み中は休みでほっとしていたが休みが明けてまた始った。たった1時間のほとんどボランティアのために行くのは、時にはひじょうに辛い。どうしても仕事と重なる時には仕事を優先せざるを得ないので当日キャンセルということもある。こういう仕組みで運営している限り、個人の使命感とか責任感とか良心がすべてなわけだ。これでいいのか、と思うが、これ以上の方法も難しそうだ。例えば工業地帯でブラジル人が集住しているような地区だと-そしてそういう所はマスコミの話題にもなりやすいが-数の力で制度を整えることもできる。でも、データを見ても、ほとんどの自治体は当地同様に多言語少人数の状況にある。一体どうしているんだろう。それを知りたいが、視察なんかで行くのだって集住地区だから、言語習得の面では勉強にはなっても制度整備の意味での参考にはならない。まあ、それでも子どもたちが日本語をガンガン覚えていって学校で楽しそうにしていると救われる感じはあるが、ちょっと昨日は愕然としてしまった。

ここらあたりのタイ人だと、ほとんどが母親タイ人、父親日本人なので、日本に定住するだろうことが前提だし家族内言語も日本語が主になる。少なくとも私が見てきたケースは全部そうだった。ところが、最近知り合った子は違う。休み明けに頭をまるめていたから、随分すっきりしたなと思っていたら「お坊さんになってきた」と言う。休み中に子どもが小僧になることはよくあるから驚くべきことではないが、タイに戻ったんじゃなくて日本のタイ寺院で修行したそうだ。しかも10人以上もそういう子がいたそうだ。お坊さんはタイ人だし、タイ料理の食事を用意してくれる尼僧さんもタイ人。「ご飯がすごく美味しかった!」と喜んでいた。それはいいが、そういう夏休みの間にタイ語とタイ文化に逆戻りしたようで、日本語が後退しているように感じられて愕然だったのだ。よく中国人の担当の人が「しょっちゅう中国に帰るので、その度に日本語を忘れる」とぼやいているが、こういうことなのか。大人だと覚えるのも遅いが忘れるのも遅いので、いったん覚えたのをしばらく離れたからって忘れることもないが、小学生はそうはいかないみたいだ。来週までに復元していてくれることを願うが、家庭がタイ語だもんな。長い目で見たらバイリンガル環境にはいいかもしれないけど、学校の勉強って甘くないし…。どうなるんだろ。
by kienlen | 2009-09-04 20:34 | 言葉 | Comments(0)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


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