予定を立てないことのムダ

もう我慢の限界にきている。部屋の散らかりよう。我慢することもないのに、毎度毎度我慢できなくなるまで放置するのはどういうことなんだろうか。汚いのが好きなわけではないのになあ、といつも思う。整理整頓能力の欠如か、何なんだ。自分だけが使うスペースの場合、他の要因を排除する操作をする必要がないので単純に考察対象にできる。まずはもともと、キチンと予定を立てて物事をする習慣がない。子どもの頃に夏休み帳に予定を書いたりする欄があったように思うが、予定って何のためにあるのか分らなかった。明日になって自分がどういう気分でいるか、何が起こるかも知れないのに明日の予定をどう組むのだ。分らないことをする時間はもったいない。そもそも予定通りに物事が進むなんてあり得ないわけで、結局合理的な選択としては予定を立てないのが一番…ではないだろうか。で、こういう性格だと勤め人がいいのである。フリーランスをしている友人の中には「朝、決った時間に出勤するのがいや」などと言う人がいるが、私は人が決めた予定に従うのはあんまり抵抗ない。なんだかこっち次第という感がスリリングである。決め事に従わなければクビであれば、その切り札を懐中にしのばせて、自分で自分のクビをしめるかどうかを、イザとなったら選べばいいという感じがある。しかしまあ、そういう思い込み自体が誤解だという指摘もあるのだが。

それと、私の中には過程はすっ飛ばして結果がすべてという考えがあることは確か。がんばったんだからいいよ、ということは基本的には言えない。これは単に、がんばろうががんばらなかろうが、どっちでもいいと思っているからで、がんばった人だけを評価する気にはなれないからでもある。じゃあ、サボっている人がいいのかというと、それはそれでご自由にであり、でも自分としては、どっちの人とも仕事で関わると面倒くさそうなので、結局こんな孤独な仕事形態に追い込まれたような気もしないでもない。避けられないのは子どもの場合で、それを今修行しているから人間の幅はこの齢になって広がっていることはめでたいかめでたくないか。整理整頓から脇道に逸れたようでもあるが、結果だけの習慣になっていると、掃除も結果主義に引きずられる。客人がある時に間に合わせるとか、何か「これが結果」と思わせる着地点を作らないとならないようでもある。それが外部からない場合は内発的動機を作り出そうとする。結局のところこれが問題である。形式から入るべきなのだ。これまでの人生、どうも内発という思い込みに偏ってきた気がする。教育の成果なんだろうか。それほど受けてきたつもりはないが。今後形式、予定等外圧側にも寄っていくことにしよう。とりあえず今日はどうするか。仕事はあるけどやる気はない。掃除はしたいが仕事がある。やる気を出すにはどうするか…じゃなくて、やらねばならない、理屈じゃない。これだ。
by kienlen | 2009-08-29 09:36 | その他雑感 | Comments(0)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


by kienlen
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30