村上春樹『やがて哀しき外国語』

しばらく前に読んだ。友達が諸事情から本を一掃するので引き受けてくれということで譲り受けた中にあって、ずっと気になっていたが手付かずだった。あまりにも村上春樹の話題が多い昨今だから読んでみた。村上春樹の本って何冊読んだことがあるかなあ、多分数冊だけだし、考えてみると積極的に読もうと思って読んだというよりも、誰かが貸してくれたとか、微弱外圧によるのが多いように思う。とてもじゃないが、ファンです、とは言えない。かといって別に嫌いではないけど。で、この本はアメリカ在住時のエッセイで、著者が40代の時のだ。『本』の連載をまとめて94年に初版。この頃私は日本にいなかった。どういう評判だったのかも知らない。今頃になって読んで何か言うのも時期はずれ過ぎだが、雑誌でちょこっと読むにはいいかもしれないけど丸ごと読むとちょっと退屈な感じだった。少年少女の心を持っている人こそがふさわしいのかもしれない、と思った。その点でももう私はダメ。

この間、息子といつものように争いになって、いつもだと当方からの一方的な非難にしかならないのだが、この日は彼も反撃に出て「普通のお母さんと違う!」と言うのである。それは彼には辛いことらしい。そもそも私が普通に話していることが「何言っているか分からない!」ということである。それに関して彼は彼なりの根拠を示した。それは常々私が「根拠」を求めているからかもしれない。とはいえ、彼なりの、であって、たいした根拠にはならない。だからこちらがそんなことで動ずるのはおかしいのだが、私はその時にすごく哀しくなってしまった。というのは「普通」なんてないよ、が通じにくい世界というのはあって、家族とか親子とかは、内実の普通さがなくなっても外面取り繕えるだけに普通があると思われやすい典型的な分野じゃないかと思う。結局「だからどうしたらいいのよ、どうしようもないじゃない」しか導き出せない。こういう時に何かに頼りたくなる気持ちは分かるが、それができないとなると、ドロドロにいくか、チョー個人主義にいくか。よって、私が共感を覚えるのはどっちかということになる。ひじょうに哀しいことだが…。単純過ぎるか…。で、元に戻って村上春樹のだと、どっちにもいかないのが物足りなく感じるのだが、それは安心できるということかもしれない。今度、普通じゃないと言われたら村上春樹を好きならいいの?と反論してやるか。そのためにはもっと読まないと。やっぱやめとこ。
by kienlen | 2009-08-03 09:13 | 読み物類 | Comments(0)

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