鳥飼玖美子『ことばが招く国際摩擦』

カレンダー上の連休中はずっと閉じこもりだった。家を片付けてすっきりしたい気持ちはあるのに放置。齢のせいかと自分に言い訳するが、昔からそうだったことは自分が知っている。それにしてもますますだらしなくなったようで自分が嫌だ。チキンと整えた部屋で手をかけた料理をいただく、友達を呼んだりして。カーテンなんかももちろん手作り。そういうのがあこがれなのに、なんでゴロゴロして本読むばかりなんだ。ただしタイ料理のことを知りたくて食文化について連休中に調べようと思っていたのは事実。それで図書館から何冊か借りて、アマゾンの洋書で英語の大著(らしきもの)も注文した。タイ語のは、作り方よりは食文化に関する適当なものを調べて注文してくれと、夫に頼んであるが、彼がそういうことをするはずがない。とっくに分かっているんだが、ついタイ人なんだからいいじゃない、と思う甘えがイライラの元である。

ところが料理と関係なく、ついでに借りてきたこっちの方を優先して読んでしまった。この類は何冊か読んでいるので例として挙げられるのはだぶったり、読んだことのある本からの引用があったりするのも楽しく、止められなくなる。で、時間を食うばかりで他のことをしなくなる。情けない。言葉について考えていたら、英語のスクールや通訳をやっている友人のことがやけに気になって、すごく久々に電話してみたら、ちょうど前向きな意味で大きな変化のただ中にあって「アタシって霊感あるかも」と言ったら「それはそれで大変かもね」と言われた。でも寝てばかりいると奇妙な夢は見るものである。で、本の感想は、面白かった。タイトルの通りだけど、言葉は文化であるという面白さ、怖さだけでなく、国際関係についても垣間見ることができるからお得な感じ。それにしてもコミュニケーションって何だろうとは、いつも思うこと。それにしてもそれにしても活字依存というのは日常生活を崩壊させる力があるように思う。
by kienlen | 2009-07-21 11:52 | 読み物類 | Comments(0)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


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