案じるようなことではないのかもしれないが

昨夜は飲み会だった。近くに、ブラジル出身の、もう長い付き合いの友人がいた。外国人に関わる活動の中ではちょくちょく会う機会があるが、彼女は大変な忙しさで久しくゆっくり話してない。そういえば子どもも大きくなっているんだろうから尋ねたら「今年受験生だよ」と言われた。ウチは高3だからあちらは中3。ウチの場合は「受験生」なんて言葉をとうてい使えたもんではないが。「ポルトガル語できるの?」と聞いてみた。彼女は日本人との結婚で日本に来た日系3世。当初は日本語はそんなにできなかったそうだ。でも「おばあちゃんが日本語で話すのを聞いていたせいか」と自分で言うくらい、じきに上達した。そして確か子どもが小さい時はポルトガル語の公文をさせているとか言っていた。その時は私も自然なバイリンガルについてもっと関心があったから「いいなあ、ポルトガル語の公文があって」と思って羨ましかった。タイ語があったらお金払っていたかもしれない、と思うくらいの気持ちがあったのだ。

彼女は首を横にふって苦笑いした。「できないよ」と言いながら。この場合の「できない」がどの程度のできなさを意味するかは分らない。期待以下という意味かもしれないし、全然できないのかもしれない。しかし、あの環境でバイリンガルになっていたとしたら私は考え方を変えなければならないなと思う。つまり家族は彼女を除いて日本人のみで、今は変化しているとはいえかつての典型的な農村地帯に家がある。ここまではまあ良しとしても、唯一のポルトガル語話者である母親が仕事をしていて、子どもに長い時間関わっていられるわけじゃない。その仕事が通訳だったりするのは皮肉であるが。今日もこれから、小学4年で日本に来たばかりのタイの子がいる学校に行く。このくらいの年齢で日本に来て膨大な漢字を覚えなければならないタイの子を見ていると、ひどく考えてしまう。自分の意思で行ったり来たりじゃないので強い動機がない。そして時間はある。その子の力にもよると思うけど、来たばかりの頃は楽しそうにタイの話をタイ語で説明してくれたり、教科書にタイ語で書き込みをしていた子も、1年くらいすると、書くのはもちろん、タイ語を読むことが面倒そうになって「読めない」とか「読めるけど意味わかんない」と言い出す。当然友達と話すような日本語はほとんど問題なくなる。しかしその程度の日本語って、大人になってから必要に迫られてやったらなんとかなる程度のものでしかないような気がしてしょうがない。
Commented by jun at 2009-07-17 19:15 x
自然なバイリンガルというのは難しいのでしょうか。環境に依るとは想像しますが。
また、前稿ではご説明ありがとうございました。
「公文は反目」(回文)という訳ではないですが、ウチの子は今、習い事、塾など何もしていません。どうも珍しいようですが。
やって得ることと、やらなくて得ることがある気がするのですが。
でも日本では漢字はやっかいですね。
日産のゴーンさんは、かつて息子には母国のポルトガル語は覚えて欲しいと思い、乳母をポルトガル語しか話せない人に頼んだそうですが、普通の人には出来ませんよね。
では。
Commented by kienlen at 2009-07-17 21:10
両親の言葉が同じで、家庭で両親ときちんとコミュニケーションする時間が質と量の面で充分にあって、経済的に余裕があり、親の意志が固く、知的に優れているという条件の下で、外国に住み、母国とも行き来できるという環境であれば可能性は高いような気がします。あと1人っ子の方が断然有利って気はしますけど。環境もあるけど資質もあると思うなあ。言葉の必要性を感じるかどうかって、人によってかなり違うような気がします。まあ、何をもってバイリンガルっていうかってことはまた難しいと思いますが。以上は単なる感覚のみ。専門的には分りませんです。
by kienlen | 2009-07-17 08:43 | 言葉 | Comments(2)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


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