グラン・トリノ

グラン・トリノを観にいった。閉所恐怖症の人なら発作を起しそうな会場。今どきだったらちょっとしたイベントのパワーポイントプレゼン用の画面だってこれくらいあるぞ、というサイズのスクリーン。鑑賞環境としては最低。残念だった。この間、チェンジリングを見てからクリントイーストウッドのファンになってしまったわけだが、これは監督だけでなくて、朝鮮戦争での戦場の死の記憶を生々しくひきずる、頑固で人種差別主義者で孤独な主人公も演じている。こういっては何だがお上手です。物語の展開に驚くべきところはそんなになくて、日常のひとコマという感じ。もっとも、私が勝手に描くアメリカ的日常であって、日本が舞台だったら起伏に富んだ物語に感じるだろうと思う。ひとつ違いでファンタジーになるかもしれない。つまりは、暴力に満ちた日常、保守的な人々の層の厚い移民の国の日常に起りそうな出来事、哀れささえ感じる強い男の表現方法とその限界、ステレオタイプなアジアへの視線とか、そういうもの。それぞれがここまで典型的に描かれていると、イメージ操作に当方が見事に嵌っているようでもあるし、いやいやこれがリアルであるようにも感じるし、そのへんはアメリカを知らないから分らないのが大変にもどかしいのである。

妻を亡くして1人暮らしになった主人公と、隣人であるモン族の家族親族との関わりが中心になってお話は進んでいく。モン族はタイでも有力山岳民族なので親近感を覚える。男は強くなければ生きていけないどころか、存在価値がないみたいな価値観の国に、フツーのタイ人男性なんかが適応できるかどうかを想像すると笑いたくなるから、不適応的なモン族男性の心情は分るような気がする。当然のことながらギャング集団から執拗に誘われる。このあたりはハラハラさせる趣向。そんな弟を心配する賢くて勇敢な姉も、いかにも。ずっと突っ張っているのに、アジア的な濃厚な親族関係に心地良さを感じてしまう白人主人公。これも、いかにも。いかにも、いかにもで、飽き飽きかと思うと、そういうことは全然なくて、面白かった。死、しかも戦争という理不尽な死から生き延びてきたという経験後の生は、まさに地に足の着いた生を生きるということなのだろうが、ここで私なんか分らなくなるのは、それの方が本物の生であって、映画の中では神父がその役を引き受けている抽象的な頭でっかちな生と死の語りが本物に満たない生であるとすると、やはり暴力というのが登場せざるを得なくなるのかなあということだ。この映画ではそれをつくずくと感じた。ただ映画の意図がどっちなのか、知りたいなあ。そのために映画評論とかがあるんだろうか。気にしていよう。
Commented by 雹子 at 2009-05-26 11:34 x
「閉所…」ですぐさま、思い出したのは「ユナイテッド93」を観た、大型ス-パーの最上階の劇場。
あの時は最後までいられませんでした。狭いし、映像のせいか、ひどい船酔い状態に。
でも、どうもそことは違うんですね。

今、見に行きたい二本の邦画は、そこで上映されているようなんです…。
やっぱ、座り心地のよい環境はいいよね。

Commented by kienlen at 2009-05-27 05:23
そこは私も「ブロークンフラワーズ」を見た場所ですね、多分。あそこより小さいです。環境にそううるさい方とは思ってないけど、いくらなんでも、という程度はありますね。「シリアの花嫁」が素晴らしかったですー。
by kienlen | 2009-05-25 19:41 | 映画類 | Comments(2)

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