遅ればせながらの「おくりびと」

またもや飛び飛び日記になっている。自分から目をそらしたいということなのだと思う。まるでサッパリ感のない日々である。昨日も今日も何やら行動しているが、ただ動いているだけみたいな不全感がある。それが何なのかを見つめる場を持つのが怖い。それで2日休み。で、2日前に「おくりびと」を観に行った。気が進まなくて延び延びになっていたものだが、見逃すのもな、と思って決断したわけだ。午前の上映に行く。チケット売り場には行列ができていた。私は回数券を持っているから並ばず場内へ。いつも2人とか3人とか多くて数人なのに補助席まで出る賑わいである。ウロウロしていたら、その映画館に勤めている友人が場内整理をしていて「1人だけならあそこにある」と教えてくれて、まあまあの席に着くことができた。お菓子の甘い匂い、苦手な匂い。携帯のマナーモードの方法を知らないのかピーピーなっているのを止められずに「嫌ね」なんて自分で言っているような年配者もいる。つまり、いつもの慣れた館内と相当に違った雰囲気だった。前夜、近所のスーパーに買い物に行って、ガランとした店内を歩きながら、地方都市の疲弊と人口減少を実感して、なんだか絶望的な気分に襲われていたから、賑わいを見て嬉しくなった。ここまで集客力があるんなら片っ端からアカデミー賞に輝いてほしいものだ。人が集まる場はどうも苦手だが、時にはほっとするものだ。

見た友人達で「つまらない」という人は1人もいない。だいたいが「良かった」と言っている。ポスターには惹かれない。死を考えるって言われても、いつも考えているから今さらって気がする。一体どういう映画なんだろうかと思ったが、いい映画だと思った。独特の日本文化みたいな評も見たことあるけど、そんなことよりも人間が生きるということについての文化を超えた普遍性を感じるものだった。笑いの場面も多かったようだが、私はあんまり笑えなかった。それにしても、最近見るのがたまたまなのか、あるいは自分が感傷的になっているのか、あるいは時代がそうなのか、家族愛だとか共同体とか隣人愛とか親子とか、そういうテーマが続いているなあ。これだって親子の物語と言っても過言じゃないと思ったし。多分その事が自分の中のひっかかりなのかもしれないが。モックンと言われても誰か知らなかったが、好感だった。見る前は大げさかなと予想した仕草がわざとらしくなくて良かった。ヒロスエって聞いたことも写真も見たことあるけど動いているのは初めて見た。これはちょっと-、今の若い人ってこうなんでしょうか、ということなのか、疑問符の嵐。山崎努と吉行和子は素晴らしいなって感じだった。その他の方々もとっても良くて、予想していたよりも何倍も良かった。それにしても地方の町は葬祭産業でかろうじて生き延びているような感じがよく出ていた。この間、限界集落の実家の本家のお通夜に行った時も、お通夜用の仕出のNPOが忙しそうだったのを思い出した。みんなたどり着く先はここなんだという当たり前のことを、それだけで片付けずに、よくもここまでドラマチックにできるものだと感心した。
by kienlen | 2009-03-11 22:52 | 映画類 | Comments(0)

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