米原万里対談集『言葉を育てる』

仕事が終わらない。いつもならしている模様替えどころか掃除もできない。本も読めない。何を取るかで本をとった。一晩に1冊ずつで最初に読んだのが『言葉を育てる』という米原万里の対談集だった。面白くて眠れなくなった。この人が亡くなってしまったのは日本にとっての損失だろうなと思う。本当に残念だ。今の社会情勢にどういう発言をするのか、知りたかった。誰か影武者となって書いてくれないだろうか。亡き人であるからあちこちの雑誌やネットなどの対談をまとめた本である。小森陽一から始まって糸井重里まで。どれも面白いが、通訳同士の対談ということでイタリア語の田丸公美子さんとのは特に面白く読んだ。最近経験したことを思い出した。この間、タイ人の小学生のお母さん=タイ人と学校の先生の面談のお手伝いをした。簡単な通訳ということ。通知票を渡しながら「これは通知票です」と先生。続けて「評価…」と言いかけて「評価って分かりますか」と私に向かって尋ねる。こういう場面って結構あるのだ。全文言う前に単語だけを取り出して「分りますか?」と確認するシーン。

よっぽど私が頼りないってことなんだろうが、それはともかくとしてこの場合はもちろん「成績を評価する」という意味だろうという想像はできるのだが、ちゃんと通訳しろっていう場面であれば、勝手な想像はまずいなって思うから確認しなければならない。でもこのような場合はちゃんとフツウに文章にしていただければ問題ないのだが、どうも、ふたつの単語の間がストレートに機械のようにつながるから単語をポツンと言うだけで伝わると思っている人は意外に多いように感じることが多い。「評価」なんて抽象的な言葉はどういう文脈か分らないと訳せない、私は。私が通訳を介して伝えるとすれば「この学校では通知票は◎、○、△の三段階に分けて記入します。◎は…で○は…で△は…です。ではご覧下さいね。国語の…は…」であるな。で、結局私はこういう風に訳してしまうのである。先生は「記入します」の部分を「評価」って言うんだろうが。あと、すごくゆっくり話すどころか、ほとんど絶句したり、外国人に分かりやすいようにいうつもりなのか助詞を抜いて話す人もいる。絶句されたらこっちも絶句しちゃうし、助詞がないと間違う可能性あり。私なんかこういう機会があると、これは自分の力不足かと思ったりするのだが、やはりこういうエッセイを読むと意味を掴むは当たり前のことなのだった。読まなくたって当たり前か。いずれにしろ言葉を洗いなおすのは面白いけど、それには外国語と接するのが一番分りやすいと思う。
by kienlen | 2008-12-30 18:43 | 読み物類 | Comments(0)

信州で読んだり書いたり、時には旅したり


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